シンプルに生きる禅の教えと地方移住に共鳴する部分が多いが、違和感もある

2018年5月28日

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移住して比較が減り、自分のスタイルで生きていくことを考えられるようになったはるまきです。

こういう生活スタイルって、「仏教(特に禅)の教えと近いなあ」と思うことが多いです。

「シンプルに生きる」

「今を生きる」
とか。

ただ、一方で仏教には、「感謝をする」「人を偏見で判断しない」など、「シンプルに生きる」ことに関係ない教えも混在していることが、不思議に思うことがあります。

「自分を信じ、比較するな!シンプルに生きよ!」って言っているのに、「周りには感謝しなさい!ご先祖様にも感謝!」って。
うーん、折り合いが付かないような気が・・・
(まあ、屁理屈といえばそれまでですが。)

だから、ある部分では、仏教的(禅的)な考えに共鳴するんですが、良い人っぽい教えの部分がどうも腹落ちしないことがよくありました。

 

仏教(禅)はもっと過激思想である

そんな疑問に応えてくれた本が、『仏教思想のゼロポイント』。

 

 

この本は、

仏教はもともと危険な思想。
世俗を捨て、因果や輪廻転生から解脱する方法を徹底して実践することを説いている。
だから、「正しい行いをすべき」とかそういうごまかしは通用しない。

じゃあ、なぜ、「正しい行いをすべき」などの世俗的な教えが仏教にはあるのか?

それは、仏教の開祖ゴータマ・ブッダ自身は解脱できちゃったけど、解脱できずに苦しむ人を「解脱後」の世界から救おうとしたから。
「解脱前」の世界の人々にも分かるように伝えるために、世俗的な教えにする必要があった。

でも、ブッタからしたら、この活動は解脱後の「遊び」にすぎない。
「遊び」だから、人々が色んな捉え方できる教えになって広まった。
(色んな捉え方ができたから、ブッタ死後に各宗派によって教えが変わっている)

と書かれています。(超絶かみ砕いています)

そもそも、ブッタは、子どもが生まれた直後に妻子を捨てて、解脱のために出家しているので、世俗的にはクズですねw

だから、「シンプルに生きる!」って確かにカッコイイですが、思想の核心には上のような激烈な要素があるんだと思うんです。
ロールキャベツ系男子みたいな感じですね。

きっと、「余裕をもって生きる」とか、「悠々自適に生きる」とかも、表層的な部分であって、それを成し遂げるために、「捨てる」、「脱する」、「とらわれない」といった世間の流れから逆らう心を持つ必要があるのだと。

 

こういったことをこの本から感じました。

そもそもこの本は学術書なので、人生指南のメッセージは書かれていないです。
あくまでも僕の感想です。

 

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自分に合うやり方を続けること

凡人である自分が、自分の満足いく生き方をしたいならば、向いていることに徹して時間を投下をすべきだと改めて思います。

それは多少極端になることがあっても、やっぱり続けてみるのが大事です、きっと。

僕はまだまだこれからですが、時間をまずは投下することから始めます。
そうしないとそもそも始まらないですからね☆

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