友達は大事じゃない。でも必要。

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中高大でできた友達と今も繋がっているのは一握りのはるまきです。

しかも、奥さんの地元に移住したので、友達は一人もいないです。

こういう話を地方生まれ地方育ちで地元志向の人に話すと、不思議に思われます。
「寂しくないの?」とか、「我慢してるの?」みたいなことを言われます。

まあ、これくらいであれば、特に気に留めませんが、40代・50代で地方生まれ地方育ちで地元志向の人に話すと、「人との繋がりを大事にしないの?」「何でもネットなの?」と、ちょっとズレたことを言う人もいます。
こういう人に限って、自分の知り合いを誇示する傾向があります。謎です。

当たり前ですが、僕は寂しくないし、我慢もしてないし、人の繋がりは大事だし、ネット以外も使います。
でも、友達や繋がりに比重を置いてないんです。
もちろん友達っていたら楽しいですが、いないとダメではないんです。

これは、僕が最近感動した『幸福の「資本」論』に書いてある、「弱いつながり」の中にいる方が楽だからです。

幸福の「資本」論 P260

「弱いつながり」は、(ビジネスや趣味など)お互いの価値観が似ているという「認知的共感」によって境界の曖昧な集団を構成しますから、異質な存在に対しても寛容です。逆にいえば、この寛容さがあるからこそ、信用を「貨幣」として、人種や国籍、宗教や性的指向のちがいを越えて「知り合いの輪」を広げていくことができるのです。

というか、僕は「弱いつながり」の方がどう考えても楽だと思っていたので、地方生まれ地方育ちで繋がりをとても大切にする人と出会うと驚くことが多いです。

実際、今も続いている交流関係を振り返ると、社会人になってからできた繋がりが多いです。
当たり前ですが、今の自分に合う人と関係が濃くなるのは当然で、大人になってできる繋がりは「経験」とか「価値観」とかが絡んでくるので、「時間」はあまり関係ないです。

どんなことを一緒にしたかの方が大きくて、今も周りに友達はいないけど、友達ではないこういった繋がりはできています。
友達というには近すぎるし、仕事相手というには遠すぎる関係です。(まさに弱いつながりです)

 

孤独じゃないのが大事

こうやって友達を気にせず淡々と生活をできるのも、僕が孤独じゃないからです。
結局、奥さんがいるからです。

孤独さえなければ、生活する上で友達がいるかいないかは大事じゃなくなるんです。
よく彼女が出来たら人が変わったと言うけれど、これこそ孤独を満たしてくれる人が友達から彼女に移ったからなんじゃないかなと思います。

と考えていたら、『幸福の資本論』にスッキリとまとめてくれる言葉がありました。

幸福の「資本」論 P261

「幸福な人生」の最適ポートフォリオは、大切なひととのごく小さな愛情空間を核として、貨幣空間の弱いつながりで社会資本を構成することで実現できるのではないでしょうか。これをかんたんにいうと、「強いつながり」を恋人や家族にミニマル(最小)化して、友情を含めそれ以外の関係はすべて貨幣空間に置き換えるのです。

僕は人は嫌いじゃないし、厭世的な考えも持ってないです。
でも、積極的な交流活動や友達作りに励まないのは結局孤独じゃないからです。

地方に住んでいて繋がりに煩わしさを感じていたら、離れちゃえば良いですよ。
いっそ東京に行っちゃうのもありです。

 

とここまで、西日本豪雨前に下書きで書いていましたが、先日行った真備のボランティアで、グループリーダーの友達の家を回って片付けをした際に、こういう時にあるべきは繋がりと実感しました。

「友達は大事じゃない」という基本的なスタンスは変わっていませんが、何もない時に斜めに見てしまいがちな「繋がり」や「人の温もり」を見つめる直す機会をもらえたような気がします。

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